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南無観自在 南無観 ―東大寺二月堂お水取りとCOVID-19― 3
BS−TBSに「奈良ふしぎ旅図鑑」という伝統工芸から自然まで様々な奈良の姿を紹介している番組があります。わずか4分ほどであっと言う間に終わってしまうのですが、仏像ファンでこのところ毎年奈良に行っているぼくにとっては貴重な情報源となっています。お寺を取り上げた回は特にありがたいのですが、それが普通ではありません。たとえば聖林寺の回では、聖林寺と言えばこの仏様というほどの超有名仏国宝木心乾漆造十一面観音菩薩立像が、てっきり出てくるものとばかり思っていたら、美人の住職さん(マスクで顔が半分隠れていてもったいなかった)が紹介していたのは本堂に安置されている巨大な石仏ご本尊子安延命地蔵菩薩坐像でした。お寺としては紹介するのはまずご本尊なんだと思いますが、ぼくとしても珍しい仏像の住職さんによる解説はうれしいから、この番組のこういう普通じゃないところが気に入っています。
去年の夏だったかこの番組の案内役の女の子が交代してその第一回が東大寺でした。はじめにお決まりの大仏さんをお参りして、そのあと女の子が、東大寺でやりたかったことがあるんです、と言ってなにをしたのかというと・・・写経でした。写経は昔から薬師寺が知られていますが近ごろはあちこちのお寺でやっているからちょっとしたブームです。東大寺でもやっていたんですね。写すお経は般若心経が普通ですがこの子が挑んだのは華厳唯心偈(けごんゆいしんげ)でした。そして部屋には重源上人(ちょうげんしょうにん)の像が・・・。(たぶん国宝像のレプリカなんでしょう。)
さすが華厳宗大本山の東大寺だと思っていたら、写経を終えた女の子は、これは持って帰った方がいいんですか、と東大寺の執事をしている案内のお坊さんに訊いています。執事さんは、大仏様の胎内にお預けするということに・・・、と自信に満ちた声で答えていました。納経の場所と言えば普通は本堂や塔ですが大仏様の胎内の方がずっとありがたいでしょう。それにすべての日本国民が写経したとしても納めるスペースは余裕です。
ここまではごく普通の展開でしたが、この子は自分の華厳唯心偈を記念に持って帰りたかったのか、いいんですかお預けしても、と訊き返したんです。執事さんの返事は間髪を入れない即答でしたが、いい〜のでしょうねぇ・・・、と声も弱々しくどこか歯切れがよくありません。いやーかわいい子にいきなり念を押されちゃって・・・、と執事さんもちょっとあわてたのかもしれません。普通なら、いいんですよ、そうしてこそ願いが成就するんですから、とかなんとか、営業用のどや顔で答えるところを、しかし、執事さんは正直でした。印象深かったのでこうして憶えていました。
練行衆
今年3月13日夜にあった東大寺二月堂お水取りの生中継について前回、前々回と書いてきました。お水取りの映像を見たのは実は初めてではありません。もう11年も前ですが、平城遷都1300年に合わせて放送された「45日間奈良時代一周」というテレビ番組にお水取りを取り上げた回があって「宝号」「神名帳」「走り」「五体投地」そして「水取り」といった行法の映像がほんの一部分というよりほんのちょっとだけ出ていたのを見ていたのです。お水取りの中でもっとも刺激的な「達陀(だったん)」はこの番組では紹介されていなかったのですが、前々から様々な書籍で写真を見ていました。今回「半夜(はんや)」から「晨朝(じんじょう)」まで「六時の行法(ろくじのぎょうぼう)」の後半部分を生中継でみられたことはとても貴重な経験で、これを直(じか)に見ればどれほど感動するだろうかと思ったのですが、こういうわけだからまったく知らなかったということでもなかったので、むしろぼくの興味関心は後日放送されたふたつの関連番組で練行衆がインタビュイーとして語った言葉でした。行を修したお坊さんたちがなにを望みなにを思いなにを感じなにを得たのかです。すなわち、COVID-19蔓延の最中(さなか)という特殊な事情の下でのお坊さんたちのお水取りです。
悔い改めの形
お水取りには五体投地(ごたいとうち)という「六時の行法」の六時すべてで行われる行があります。チベット仏教にも五体投地はありますが、それはむしろ礼拝の形で尺取虫のように腹ばいになり起き上がりを繰り返して前に進みます。お水取りの五体投地は、修二会が十一面悔過(じゅういちめんけか:十一面観音菩薩に懺悔する)という法要であることでもわかるように、それは悔い改め赦しを請う形で、自らの身体を打つという行為です。すなわち右の膝と脛に全体重をかけて床に設えられた板に何度も打ち付けます。ダン、ダンダンと大きな音が二月堂の暗闇に響いていました。五体投地は自分の懺悔というよりむしろ世の中のすべての人のために代わって行うのだといいますが、この五体投地について語っていたのは練行衆のなかで「平衆(ひらしゅう)」と呼ばれている若く経験が浅いお坊さんたちでした。コロナ終息を願って思いっきり板に打ち付けたと口々に語っていましたが、「処世界(しょせかい)」という練行衆のなかでもっとも下の位にある若いお坊さんが、一瞬息が詰まり時にめまいがし全身がしびれる、と語っていたのが印象的でした。この若いお坊さんは初参加だったらしく、インタビューに答える姿は、行の興奮未だ冷めやらず、といった感じで、自信たっぷりに話すその表情には自分が今年の練行衆に選ばれたことの誇りと嬉しさがそのまま現れていました。
不退の行法
二月堂内陣にある須弥壇の周囲をぐるぐる何周も走ってまわる「走り」という不思議な行法がお水取りにあります。そもそも東大寺のお水取りがどうして始まったかという由来が基になった行です。すなわち実忠(じっちゅう)という名のひとりのお坊さんが、弥勒菩薩が修行している兜率天(とそつてん)に迷い込み、そこで天人たちが十一面観音菩薩に捧げていた儀式を見て地上でもやらせてほしいと申し出たことがお水取りのきっかけだったというのです。そのとき天人たちは、それは無理です、兜率天の一日は地上の400年に当たります、と否定します。そこで、それなら走ってやります、と食い下がったというから実忠さんも一途(いちず)、いや頑固でした。このできごとを再現しているのが「走り」だといいます。実中さんは行の最中に須弥壇の下に消えたと伝えられているそうですが、この実忠さんの一途な頑固さは東大寺のお坊さんに代々受け継がれているようで、お水取りは伽藍の焼失や政変、戦争にも屈することなく「不退の行法」としてこれまで一度も中止されたことはなく、今年初回から数えて連続1270回目となるといいます。
練行衆はここから二月堂に入ります |
形而上学的気分
この実忠さんについて練行衆の上から三番目で神道的なあるいは密教的な儀式を執り行う「咒師(しゅし)」を務めていたお坊さんは、実忠さんという人はなんなんでしょうね、お水取りを始めたでしょう、ものすご功労のある人じゃないですか、不思議な力を持った人ですよ、実忠さんは今も須弥壇の下にいてはると思いますよ、と語っていました。
この「咒師」役のお坊さんはほかのところでは、お水取りの練行衆になるとどこか懐かしさを思う、自分の百年に満たない人生で体験することはなかったであろう体験をさせてもらっている、と語っていました。また「咒師」の行う「結界」について、へんな帽子にへんな恰好をして呪文を唱えたり四天王を呼びだしてみたり・・・と話していたから、このお坊さんはインタビュイーとしてはどこかおかしみを感じさせる親しみやすさがありましたが、自分とお水取りをどこか客観的に眺めているようにも見えました。気持ちが醒めているとか行が形だけだとかいうのではなくて、修二会に何度も参加してその世界を深く感じるようになると逆にその世界からちょっと引いたところで俯瞰するように自分自身も行自体も眺めることができるようになるんじゃないのかなと思います。それは譬えて言い換えれば「形而上学的気分」です。このことは「咒師」より上の位にいたふたりのお坊さんにも共通しているような気がします。
ところで「咒師」を務めたこのお坊さんを以前なにかで見たことがあるような、と思ったら、このお坊さんこそが「奈良ふしぎ旅図鑑」で案内役の女の子に大仏様の胎内に写経を預けてもいいんですかと訊かれていたあの東大寺の執事さんでした。なるほどそれなら、いい〜のでしょうねぇ、という返事が出るわけです。
達陀帽
「走り」同様に不思議な、いや不思議なというより奇妙にして異様な儀式が「達陀」です。「咒師」が二月堂内陣の須弥壇の周りに結界を結んだあと「火天(かてん)」「水天(すいてん)」「芥子(けし)」などの神なのか精霊なのか異界の住人が登場し大きな松明を振り回して前に後ろにと飛び跳ねその松明を引きずって須弥壇の周囲を練り歩くということを数回繰り返したあと最後は松明を垂直に立ててそのまま外陣の方へ向けて倒してしまいます。敦煌莫高窟で発見された文献の記述から中国唐の時代に長安で行われていた儀式でゾロアスター教由来だという話もあるようですが、ほんとうのところはわからないみたいで、その意義はおろか名前の意味すらはっきりしないようです。
松明を持って飛び跳ねる「火天」とそれに呼応して制するかのように飛び跳ねる「水天」は達陀帽という冠のようなものを被りますが、お水取りが満行となった日、この達陀帽を幼児に被せて健やかな成長を願う行事があります。それについて、練行衆の最高位「和上(わじょう)」を務めた東大寺第223世別当(べっとう)、平たく言えば東大寺の223代目の和尚さんは、こどもに達陀帽を被せるために修二会はやっているんじゃないのかなと近ごろ思うようになったと語っていました。つまり明るい未来のためにお水取りという行をするということかとぼくは思ったのですが、そのクライマックスが「達陀」でした。
他言無用
「達陀」はお水取り最後の三日間だけ行われます。その最初の日、つまり生中継となった13日の前日の12日ですが、「達陀」に先立って行われる儀式が「水取り」です。東大寺の修二会をお水取りと呼んでいる所以の儀式ですが、行法の正しい呼び名は「水取り」で、これは「咒師」が務めます。もう日付が変わって13日となっている深夜午前2時に「咒師」が「堂童子(どうどうじ)」と呼ばれる行を手助けする裏方ひとりと神官数名を伴って、今年は春の嵐が吹き荒れるなか、若狭遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬(うのせ)から流れてくる香水(こうずい)を汲むために「若狭井」に向かいます。しかし「若狭井」を覆う閼伽井屋(あかいや)という建物に入れるのは「咒師」と「堂童子」のふたりだけです。そして中で見たことは一切他言してはならないそうです。これもまた謎に満ちた神秘の行でした。
南無観自在 南無観
「六時の行法」の節目節目で行われる「宝号(ほうごう)」という行法があります。南無観自在菩薩の連続唱和です。観自在菩薩=観世音菩薩=観音菩薩で、つまり観音様に帰依しますと唱え続けるのが「宝号」なのですが、行が進むにつれだんだん早口になり南無観自在菩薩が南無観自在に縮まりさらに南無観にまで短くなります。縮めた形で唱える声、特に南無観は聞いていると調子のよいリズムでどこか心地よく自然に口ずさんでしまいそうです。ぼくはこの南無観をダンダンと言っているのだと11年間ずっと思っていました。「45日間奈良時代一周」でお水取りを見たときそう聞こえたんです。ダンダンはナムカンだったこと、それが南無観自在菩薩の略だったことがわかったことが今回の生中継で一番うれしかったことかもしれません。レベルの低い話ですが、むしろこの程度がぼくにはお似合いで、近ごろは歩きながらナムカンナムカンと繰り返していることがあります。「くさめくさめ」と同じ気分ですね。ご利益があるかもしれません。もちろん辺りに人がいないことを確認しているのですが、不意に人が現れたりすると変な目で見られてしまいます。(「くさめくさめ」は徒然草第47段。)
COVID-19と練行衆
去年1月からこの方、世の中の様相はCOVID-19のために一変しました。これまでなんの問題もなかったことがにわかに問題とされ、仕事や娯楽から冠婚葬祭、日常生活までもが窮屈なことになり、これまでの生き方そのものが否定されてしまいました。お水取りは大仏開眼の年、752年に始まりましたが、大仏の造立はその15年前に当時の日本の人口の四分の一にあたる150万人が死んだという天然痘の流行がきっかけで、聖武天皇は仏に祈ることで疫病などの災いから国を守ろうと考えたといいます。お水取りもまたそのことが意識されたのは当然だったでしょう。だからコロナ禍の今年のお水取りはどうしてもやらなければならなかった。しかし行は密閉された屋内で換気もなく大人数で集まって長時間にわたり大声を出すのだから三密の典型のような行為でした。国宝の木造建築内で激しく動き回る炎の行法にアクリル板だのアルコール消毒だのはあり得ません。マスクを着けて仏様に礼拝するなどもってのほかです。ひとりでも感染者が出ればお水取りはそこで終了です。練行衆はもとより濃厚接触者となる可能性のある関係者すべてが行中はもちろん行が始まる二週間前から隔離生活を送る必要がありました。練行衆は実忠さん以来受け継いできた不退の決意ですが、その倍の人数にもなるかというお水取りを支えている人たちはそうでもなかったことは容易に想像できます。結局全員が隔離生活を送りひとりの感染者も出さなかったそうです。そうした困難を乗り越え無事満行したのだから関わった全員が責任を果たせたとさぞ喜んだことだろう・・・と思ったら、練行衆は手放しでは喜べなかったようです。
「平衆」だった恰幅のいいお坊さんは、満行になってお堂から下りたときコロナが収まっていてくれればよいのだがと願い行に励みましたが・・・、と語っていました。そして「咒師」を務めた執事さんは、コロナ禍のもとのお水取り、自分は本当にこれで良かったのか、自分に十分ではないところはなかったのか、満行おめでとうと言われてもそうじゃない、いつもの年にもましてそのことが責められた、と自分の務めを省み、「和上」だった別当さんは、今年は1270回目のお水取りというがそう思ったらいけない、これが初回だ、今が752年なんだという心で臨まなければいけないのだとコロナのおかげで気付かされた、と思いを新たにするように語っていました。
お水取り最後の日の最後の「宝号」は行の終わりを惜しむように弱々しく低い声で、ナムカン ナムカン ナムカン ナムカン、と唱えます。すべてが終わると内陣の飾り付けをただちに取り払いなにもなかった元の状態に戻します。「和上」と「咒師」のあいだの位で祈願を行い行法全体を主導する「大導師」を務めたお坊さんは、すべてを取り去りなにもなくなる、悪いものもいっしょに去っていく、と語っていました。片付けが終わると二月堂に招いた神様たちを元の場所に送ります。そしてそれぞれが御札の入った箱を結わえた竿を持って二月堂を足早に下りていきました。
お水取りが終わると春が来ると奈良の人は口をそろえて言います。今年は桜が早かったから本当に満行に合わせて春が来たようだったでしょう。「咒師」の執事さんは言っていました。季節はめぐらないといけない、この地で生きていかないといけないということはそういうことが続いていくということだ、そのためにお水取りをやっている。
COVID-19に苦しめられる日々は二年目に入ってもう九月の中旬です。ぼくらはいつになったら今から思えばあの楽しかった日々を取り戻せるのか。それとももう戻らないのか。そんなはずはないと信じてぼくは今日も新しい不織布のマスクを一枚、箱のなかから出します。(2021年9月10日 メキラ・シンエモン)
写真:メキラ・シンエモン
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